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Jackson Browne 1st比較 「France盤」 [アナログ盤]

しつこい企画

Jackson Browne 1st比較

初登場「France盤」

France盤が欲しくて買ったわけじゃないのですが、オランダ人のセラーが「Netherlands盤」と言って出品していた格安(5ユーロ)だったのですが残念な結果に(笑)

しかし研究材料としては面白いので、あえて受け入れる事に。(一応セラーには報告しました。)

Jackson Browneの1stの場合、Netherlands盤はUK盤と同じ番号で「SYL 9002」
そのほか、New Zealand盤、そしてFrance盤が同じ番号。ここが厄介なんですよね。

そしてジャケットもまんまUK仕様の物が使われています。

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さて・・・本題。
France盤を手にした第一印象。
「Vinylの質悪そう」軽いし、薄いし・・
Germany盤なんて見るからにヴァージンって感じ。重いし厚いし。

これ音は期待できないと思いながら「Jamaica Say You Will」に針落としました。
イントロのピアノ2秒くらい聴いて「あかん」と思いました。
音圧の低さアリアリ。

ピアノ2秒くらい聴いて「あかん」と感じられるのは
UK盤やGermany盤の驚愕の音像を知ったからですね。
全く性質の違うものでした。

そこで思ったのが、以前facebookに書き込んでくいただいたKさんコメント。
以下引用させていただきます。

アトランティックやワーナー系はドイツやイタリアはリカットが多くてフランス、スペインはUSマザーが多いと記憶しています。

そうなんです。US盤の感じ。
それも極めてレイトな再発や再々発のペラい音。

初めてJackson Browne 1stを買ったのは渋谷にタワーがオープンした年。
74年以降のSPプレス。
その音に近い感じ。

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実はこのFrance盤・・・多分セカンドプレスだと思います。
中の紙袋に74と記載がありました。

UK盤アサイラムで例えるとGrammophonとEMIみたいな時期の違い。

Kさんの説が納得できるようなUS再発なFrance盤でした。

今回France盤を買ったことで15枚となりましたが
France盤と再発SP盤が同率14位という感じ(笑)

おまけ

所有する1stのセカンドプレス(トップオープン、裏表記2列)の中でテクスチャージャケットでありながら「クラウド」があります。

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魅惑のサンセットリムの後、73年から約1年使われた「Wマーク無し」のMOプレスのFF/JJ

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これ「あちゃ!クラウドだ。ハズレだぁ」って10年くらいの間、手にしなかったのですが、

前回アップしたPRの
SIDE ONE: ST-AS-712383-E AB
SIDE TWO: ST-AS-712384-G DDV

に近いんです。「RUNOUT」の狭さが(笑)

なんでもっと早くに解らなかったんだろってくらい
音がUK、Germany寄り。

このレコードに限っては聴き込み尋常じゃありません。
それくらいあれこれ聴いたからの発見ですね。

Jackson Browneの1stに関してはE〜Jくらいのヤツ、侮れませんよ。


Jackson Browne 1st (PRプレス) [アナログ盤]

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これでPRの旅は終わるのか?
終わらない気がしてきた。

先週のヤフオクで『俺が落とさず誰が落とす?』くらいな勢いのPRプレスを落札。
過去に手に入れた USオリジナル横出しの中では間違いなく最強のグレード。
写真で見る限りとにかくジャケットが美しかったので、敢えてマトリクスの枝が何か?なんて質問はしませんでした。

届いた商品を見て確かに極上であることを確認。

但し・・・・・
もしかしたら、極めて綺麗なうちに再度パッキングされた可能性も(笑)
シュリンクの中で僅かに擦れている箇所があったが、百歩譲ってもこんな綺麗なPRは見たことがありません。
もちろん盤質も。Mと断言してもいいと思います。

IMG_3931.jpg

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さて、問題のマトリクス枝番ですが

SIDE ONE: ST-AS-712383-E AB
SIDE TWO: ST-AS-712384-G DDV

う〜ん、随分レイトだなぁと思い、手持ちの横出し(裏クレジットセンター)PRを見ると

プロモ盤は
SIDE ONE: ST-AS-712383-B
SIDE TWO: ST-AS-712384-C

もう一枚は
SIDE ONE: ST-AS-712383-E
SIDE TWO: ST-AS-712384-F

これを並べて見て気が付いたことが。

今回入手した-E/-Gとプロモ盤の-B/-CとではRUN OUT幅が恐ろしく違うという事。

-B/-Cが10mm欠けるくらいに対し、プロモ盤の-B/-Cは約18mmくらい。

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プロモ盤の-B/-Cは約18mmくらいの幅はMOやRIのAからDくらいまで共通で
持論ではですが、セカンドプレスでありながら世間的には長らくファーストプレスと言われてきた
『トップオープンで2裏クレジット列』で枝が-A/-Aが与えられたPRも同じ。

同じPRでありながら何故-E以降にこの差があるのか?

溝幅の違いで音が変わる事は周知の事実。
12inchの45回転などが収容力が多い事は言われていますよね。

同じように溝幅広くRUN OUTの狭いUKやGermany、Netherlands盤あたりがUS盤と違う表現力の物が存在することは納得がいきます。
国民性の違いが音質の好き嫌いなど。

そこで聴き比べ。
今回は溝の内側での差を中心に考え
『Rock Me On The Water』と『My Opening Farewell』で検証。

これは侮れません。番号がレイトであるために比較論外にしていた『-E/-F』に申し訳ない。
今回入手した『-E/-G』はUKやGermanyに匹敵する音圧と奥行きのある音にクリビツ。
同じPRでありながら溝幅の狭いプロモ盤や若いPRとは別物です。

素晴らしいぞ!『-E/-G』

今までPRとMOで論じてきたUS盤の話だったが
PRでこれだけ個体差が出てくると
まだまだPRは止められないかも。
US以外も含めたら14枚に膨れてしまった1st・・・

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で、ここからは例によってまたの勝手な憶測ですが、カッティングエンジニアの試行錯誤で再プレスの度に異なるスタンパーを作っていたのではないかと・・・
その結果、『-E/-G』などの溝幅のサウンドはアメリカ人の好みじゃないという結論になったのかな?って。
個々の音が際立つエッジのある感じは溝幅狭いタイプ。
アメリカの若者にはこれだったのではないかと。
あくまでも妄想です(笑)


ここで浮上するのが前述の『セカンドプレスでありながら世間的にはファーストプレス』の存在。
そして何故ここから-A/-Aが始まるのか?
プレス工場の違いであまりに音質が異なる盤が出まわった事と、
クリエイター意図通りの様式に作り直すために
-A/-Aから始まるPRが装いも新たに世に出だのではないかと。

それと最初期と言われる横出しのPRにそもそも-A/-Aは存在するのでしょうか?
プロモ盤が『-B/-C』となればもしかしたら無かったりして。



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アサイラムレコード レーベルの話を… [アナログ盤]

ASYLUM
住所の謎の研究

初期ASYLUMのアーティストがお好きな方なら、やはり手に入れたいのは通称『ホワイトアサイラム』。
US盤にこだわりたい方ならリムに印刷されたこの住所ですよね。

MFG. BY ATLANTIC RECORDING CORP., 1841 BROADWAY, N.Y., N.Y.

01.jpg

ホワイトアサイラムの時期はATLANTICの傘下なのでこの住所も目印です。


通称『クラウズアサイラム』になった1973年はWarnerに売却されてElektraと統合されたためにリムの表記は変わります。

ASYLUM RECORDS Mfg. by Elektra/Asylum/Nonesuch Records, A Division of Warner Communications, Inc., 15 Columbus Circle, New York, N.Y. 10023

03.jpg


この1973年…実に厄介。
ASYLUM最大の変換期でもありカタログナンバーが『SD』でありながらホワイトアサイラムではなくクラウズだったりして。

そしてさらに厄介事が。
住所表記です。僅かな期間(おそらく2カ月間)だけ
ASYLUMの当時の所在地がリムに入ったものがあります。

9120 SUNSET BLVD., LOS ANGELES, CALIF. 90069

02.jpg


海外のサイトのデータベースを参考に調べると、7インチに関してはAS 11023 ~AS 11025の3種のみが『SUNSET BLVD』の住所のようです。


■Jackson Browne/Redneck Friend(73年9月)

■Ned Doheny/On And On(73年9月)※写真3

■Eagles/Outlaw Man(73年8月)

そうなんです。この3枚は73年発売のシングルなのですが
73年1月のBatdorf And Rodneyから同年8月のDavid BlueまではATLANTICリム、そして10月のLinda Ronstadtからは『Elektra/Asylum』リムになります。

下記3種の『SUNSET BLVD』リムの7インチでも

AS-11023
Jackson Browne/Redneck Friend
(クラウズ通常盤)
プロモ盤はATLANTIC住所

AS-11024
Ned Doheny/On And On
(クラウズプロモ盤、通常盤は未確認)

AS-11025
Eagles/Outlaw Man
(クラウズ通常盤)
プロモ盤はATLANTIC住所

『FOR EVERYMAN』にホワイトアサイラムは存在しませんが、
『NED DOHENY』と『DESPERADO』に関してはホワイトが主ですが、クラウズのSD品番が存在するためややこしいのですが
Eagles/Outlaw Manのようにプロモ盤はATLANTIC、通常盤はSUNSET BLVDリムなんて事が生じています。

おそらく7インチ同様にアルバムも『NED DOHENY』と『DESPERADO』はSUNSET BLVDリムが存在するようですが
未確認です。

※『『FOR EVERYMAN』にホワイトアサイラムは存在しません』はUS盤を指します。

ASYLUM 住所の謎の研究 [アナログ盤]

ASYLUM 住所の謎の研究


初期ASYLUMのアーティストがお好きな方なら、やはり手に入れたいのは通称『ホワイトアサイラム』。
US盤にこだわりたい方ならリムに印刷されたこの住所ですよね。

MFG. BY ATLANTIC RECORDING CORP., 1841 BROADWAY, N.Y., N.Y.

01.jpg

ホワイトアサイラムの時期はATLANTICの傘下なので、リムもATLANTICと同じ。
通称『クラウズアサイラム』になった1973年はWarnerに売却されてElektraと統合されたためにリムの表記は変わります。

ASYLUM RECORDS Mfg. by Elektra/Asylum/Nonesuch Records, A Division of Warner Communications, Inc., 15 Columbus Circle, New York, N.Y. 10023

03.jpg

この1973年…実に厄介。
ASYLUM最大の変換期でもありカタログナンバーが『SD』でありながらホワイトアサイラムではなくクラウズもあったりして。
そしてさらに厄介事が。
住所表記です。僅かな期間(おそらく2カ月間)だけ
ASYLUMの当時の所在地がリムに入ったものがあります。

9120 SUNSET BLVD., LOS ANGELES, CALIF. 90069

02.jpg

実際にこのあたりを車で走ったり、歩いた事がある方ならそそられちゃう住所ですよね(笑)
海外のサイトのデータベースを参考に調べると、7インチに関してはAS 11023 ~AS 11025の3種のみが『SUNSET BLVD』の住所のようです。

その3枚は

■Jackson Browne/Redneck Friend(73年9月) ■Ned Doheny/On And On(73年9月) ■Eagles/Outlaw Man(73年8月)

そうなんです。この3枚は73年発売のシングルなのですが
73年1月のBatdorf And Rodneyから同年8月のDavid BlueまではATLANTICリム、そして10月のLinda Ronstadtからは『Elektra/Asylum』リムになります。

下記3種の『SUNSET BLVD』リムの7インチでも

AS-11023 Jackson Browne/Redneck Friend (クラウズ通常盤) プロモ盤はATLANTIC住所 AS-11024 Ned Doheny/On And On (クラウズ白プロモ盤) 通常盤は未確認 AS-11025 Eagles/Outlaw Man (クラウズ通常盤) プロモ盤はATLANTIC住所

『FOR EVERYMAN』にホワイトアサイラムは存在しませんが、
『NED DOHENY』と『DESPERADO』に関してはホワイトが主ですが、クラウズのSD品番が存在するため、ややこしいのですがEagles/Outlaw Manのようにプロモ盤はATLANTICのみ、通常盤はATLANTICリムとSUNSET BLVDリム両方存在…なんて事が生じています。
おそらく7インチ同様にアルバムも『NED DOHENY』と『DESPERADO』はSUNSET BLVDリムが存在するようですが
未確認です。

SUNSET BLVDリムを探すのは実に困難。プロモ盤より通常盤がさらに見つからないのですが、Ned Doheny/On And Onのプロモ盤は比較的発見しやすいため、今回入手できましたので
リム比較の画像をアップします。
ASYLUM研究はとにかく厄介です(泣)



Traveling on a Sundeck [アナログ盤]

タケカワユキヒデ
Traveling on a Sundeck
(スプリンター・リフトバック~光の中を走るサンデッキ ~)

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長い間探していて見つからなかったタケカワユキヒデの非売品7インチです。
1976年にトヨタのスプリンターリフトバックの販売促進用に制作されたもので、レーベルのCOLUMBIAロゴの下に「委託制作」の記述があります。

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何年も探していてまったく見つからなかったのに、先々週ヤフオクになんと2枚も!
1枚は既に5000円即決で終了していて、残った1枚(別の出品者さん)が1000円スタートで
誰も入札無し。落札出来ました(涙)

この「委託制作」と78年発売の「CMソング・グラフィティ ゴダイゴ・スーパー・ヒッツ」収録の曲が別モノで、「CMソング・グラフィティ」に収録されているのは新録。
スプリンター・リフトバックのCMが好きで好きで・・・「CMソング・グラフィティ」が発売された時は嬉しかったのだが・・それはCM用のフルバージョンで無かったため残念だった記憶が。

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このレコードの存在を知ったのは、恐ろしく詳細まで調べ上げられたゴダイゴのファンサイト「STUDIO-G」を見てのこと。素晴らしいデータ収集が圧巻です。

「CMソング・グラフィティ」収録の物との大きな違いはやはりCMを意識したアレンジになっていること。タケカワ氏の解説では新録バージョンがベストトラックと言っているが、完成度はやはりLPバージョンが上かもしれませんね。実際のCMのテイクは、15秒版、30秒版で構成が違うし、特に15秒版は複数存在し、歌詞がハミングに変わったり、部分的にインストになったり様々。ライナーに書かれているように13バージョン存在するようだが、ベースになっているのはこの販促用のフルバージョンだと思います。





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CMのヒロインがアグネスラムからステファニーに代わり、曲のなんとスプリンターの歌う「スプリンター・リフトバック」で曲名も「サンシャイン・オン・ミー」に。残念ながらクオリティはタケカワバージョンが断然上ですが、クレジットにタケカワユキヒデと奈良橋陽子の名前があり歌詞も変わっている。

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これも「委託制作盤」のライナーに書いてあったのだが、歌詞、曲共に完成後に「スプリンター・リフトバックと入れてほしい」との要望からの変更があったそうで。
もしかしたら「サンシャイン・オン・ミー」が元の歌詞だったのかなぁ〜?なんて妄想も。




タイトルダッサイケド・・・

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Hotel California From The Byrds To The Eagles


The music and mythology of a golden era in the culture of California is explored in this feature-length documentary.

At the start of the 1960s Los Angeles was a kooky backwater, barely visible on the musical map. By the end of the
1970s it was the artistic and industrial hub of the American music industry. This film explores how the socially-
conscious folk rock of young hippies with acoustic guitars was transformed into the coked-out stadium excesses of
the late 70s, and the biggest-selling album of all time.

Alongside extensive and never before seen archive footage, the programme features comprehensive first-hand accounts of the key figures including musicians (David Crosby, Graham Nash, JD Souther, Bernie Leadon, Bonnie Raitt, Andrew Gold, Mark Volman and Van Dyke Parks) music industry bosses (David Geffen, Jac Holzman, Ron Stone and Peter Asher) and legendary LA scenesters including Henry Diltz, Pamela Des Barres and Ned Doheny.

Set amongst the sun-dappled porches of Laurel Canyon and perched above LA's iconic Sunset Strip, this is an epic tale of drugs, genius and greed - all set to a stunning soundtrack.


Ten great tracks featured in Hotel California:


















7本で100分ちょっとかな?

初めて観る映像も多いなぁ。

BBC制作だと、視点も違って面白い。

アメリカで企画されたら絶対NED DOHENYのインタビューなんて「無し」だろうなぁ。

ブートDVDとかも出ているようだが、正規日本語字幕(もしくは英語のテキスト)で
発売されないかなぁ。



BEACH BOYSと出会う その4 "The Spirit Of Rock'n Roll" [アナログ盤]

いゃぁ〜随分引っぱってしまったなぁ。

という訳で3度目の登場。
BRIAN.PNG
これ無いと解らないでしょうから(笑)


いよいよこのアルバムの話。
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正式なタイトルは「THE BEACH BOYS」なのだが・・・いつのまにかアルバム名が 「THE BEACH BOYS 85」なっている。これは日本独自じゃなく、アメリカ本国でも このタイトルで表記されている。

「85」・・・・1985年

BEACH BOYSにとって重要な年である。

1983年12月28日のデニスの溺死。

この事故は大きな悲しみと痛手をとなったメンバーの試練となる。

81年頃、またアルコールとドラッグの世界に戻って行ったブライアンではあったが、 デニスの死亡を告げる記者会見の映像を見ると、既に再度の治療にあたったランディの過激な 生活管理の成果があり、81年当時とは別人のようにスリムで健康そうに見える。

「an american band」が見れる方はお解りでしょう。

メンバーは結束せざるをえなかった。

ブライアンの息吹が感じられないアルバムを作ってもファンは勿論であるが、レコード会社すら興味を示さない。

契約すら危ぶまれた時代だ。

しかし、時代が彼らを後押ししたのか・・・様々なプラスの要因がこの年に集中。

その1/ニューアルバムの完成&MTVの力

その2/David Lee Rothの「California Girls」のカヴァー

その3/LIVE AID」への出演

上記の3点がその後を決定づけたようなものだ。

1984年から85年にかけて制作されたアルバム
「THE BEACH BOYS」はこんなラインナップ。
SIDE.1
Getcha Back (Mike Love/ Terry Melcher)
It's Gettin' Late (Carl Wilson/Myrna Smith Schilling/Robert White Johnson)
Crack at Your Love (Brian Wilson/ Al Jardine)
Maybe I Don't Know (Carl Wilson/Myrna Smith Schilling/Steve Levine/Julian Lindsay)
She Believes in Love Again (Bruce Johnston)

SIDE.2
California Calling (Al Jardine/Brian Wilson)
Passing Friend (George O'Dowd/Roy Hay)
I'm So Lonely (Brian Wilson/Eugene E. Landy)
Where I Belong (Carl Wilson/Robert White Johnson)
I Do Love You (Stevie Wonder)
It's Just a Matter of Time (Brian Wilson/Eugene E. Landy)
Male Ego (Brian Wilson/Mike Love/Eugene E. Landy)

ロンドンとL.Aで行われたレコーディングは
ビーチボーイズにとって大きな試練、そして挑戦となる。
デジタルレコーディングとの戦いである。
これは彼らだけじゃなく、多くのベテランミュージシャンが直面した
大きな壁だったと思う。
「プログラミング」という行程はレコーディングに加わるわけだから・・・

プロデューサーにカルチャー・クラブで有名になったスティーブ・レヴォンが参加したこともあり、良くも悪く、ビーチ・ボーイズは最先端のサウンドを生み出した。

何度もしつこく書いているが、特筆する点の一つにカールのR&Bなセンスがビーチボーイズのサウンドに加わった。ソロ作で培った黒っぽいAORにブライアンのコーラスアレンジが新しい。
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SIDE.1の「It's Gettin' Late」は新たなビーチ・ボーイズサウンドを予感させたのだが・・・

ブルース作の「She Believes in Love Again 」はある意味、このアルバムの 裏ハイライトだと思う。ブルースの切ないメロディーに乗せ、ヴォーカルを ヴルースとカールで役割分担した傑作。

逆に王道とも言えるのがマイク&メルチャーによる「Getcha Back」や アル&ブライアンの「California Calling」こういう曲があるから ビーチ・ボーイズはライブバンドとして25年(85年当時)もの間、 老若男女に愛された証だ。
「Getcha Back」のPVがどれだけMTVから流されただろう。 ビーチ・ボーイズをよく知らなくてもこのPVを憶えている人は多いと思う。

実にいいPVだ。


アルバムは残念ながら思うようなセールスは記録出来なかったが、 まだまだビーチ・ボーイズはいけるという感覚と同時に、 ブライアンの今後を大きく決定づけるアルバムとなったのも事実。

太字にした2曲、「I'm So Lonely」「Male Ego」は3年後もブライアンのソロに
大きく繋がる2曲となることは・・・まだこの時点では誰も知らない。
いや、ブライアンとランディには見えていたのだろう。

次のキーワードはDavid Lee Rothの「California Girls」のカヴァー。
これにはカールもコーラスで参加している。
アメリカのミュージシャンは多かれ少なかれ、ビーチ・ボーイズというのは 永遠な部分があるんじゃなかろうか?

David Lee Rothがこの曲を選んだおかげで、ビーチ・ボーイズはライブでの 「California Girls」への反応は一層増したはず。

そしてこのDavid Lee RothがMTVに大きく貢献したPVを多く制作しているのも 時代の後押しかなぁ〜



Fat Boysのアルバム参加なんてのもあったね。「ワイプアウト」



そしてLIVE AIDへの出演。

これはライブバンドとしてのプライドと、アルバムのプロモーション、そしてブライアンの復活を世界に知らしめる絶好のチャンスだった。


この時は寝ないでビデオテープの交換してましたわ(笑)


更にスリムになり、明るい表情の多いブライアン。

しかしなんという年なんだろう1985年。

こんなに活発に・・・運にも恵まれた年はないだろう。

この後88年のヒットシングル「Kokomo」はあるが、 ブライアンのいるビーチ・ボーイズは85年で終わり。 その後、旧作品の方が多い新譜だしたり、 過去の作品に泥を塗るようなセルフカバー出したり・・・何をやっても駄目駄目。 なので私のビーチ・ボーイズもこの85年で一旦幕引きとなる。

そしていよいよこのアルバムの登場である。
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私達(ビーチ・ボーイズファン)が求めていたのは・・・ 結局ブライアンだったんだなぁと当時つくづく思ったものだ。

相変わらず、ユージン・ランディはブライアンの「パートナー」としてアルバムにも 名を連ねている。多分・・・この時点でもまだブライアンには「不安」な材料があった。 笑顔が多くなったが、時折見せる「狂気」な眼差し。
アルバムジャケットにもはっきりその目が使われている。

すっかりデジタルレコーディングを習得したブライアンのサウンドは
いささか大袈裟とも言え内でもないが、
明らかにブライアン・ウイルソンの作品だ。
85年のBB5のアルバムから3年。

この3年間のブライアンそしてランディの関係は
本当に洗脳やマインドコントロールだったのだろうか?
今迄何度も復活に失敗したのは「甘やかし」に違いない。
メンバーでも兄弟でもそれは出来なかった。
時には恋人のように肩を寄り添い、そうかと思えば
地獄のような過酷なメニューを強制し、
ブライアンを支えたのは・・・やはりランディだと思う。

精神科のセラピストは慈善事業じゃないし、しかも相手が
ブライアン・ウイルソン。多少夢も見たかったのだろう。
ランディはロックスターに憧れていたようだ。
こんな点だけ見て、ランディを悪徳医者と決めつけていいのだろうか?

ランディが側に居なければアルバム「BRIAN WILSON」は無かっただろう。
精神面でのアドバイザーとしての貢献は大きい。

しかし、マイクやアルを中心としたメンバーはどうしても
ランディとブライアンを切り離したかった。
様々な訴訟の渦に飲まれそうなブライアンを救うには
ランディが自ら身を引くしかなかった・・というのが事実なのではないだろうか?
ブライアンにとってランディは友人でもあった。
そう思いたい。

ランディは去り、ブライアンは少し太ったが、愛妻と子どもに恵まれ
安定した精神状態で現在に至っている。

私のブライアンは「スマイル」でも「ペットサウンズ」でもなく
この88年のソロアルバムなのだ。

最後に。

本来ならソロ2作目として発売される予定だったアルバムがある。
未発表アルバム「Sweet Insanity」である。
このアルバムはブートでほぼ完全版が出回ったが、
この中に「The Spirit Of Rock'n Roll」という曲がある。
20世紀のポップミュージック・・・その頂点と言っても言い過ぎじゃない
完璧な曲だ。ビーチボーイズ風でも誰風でもない。
ブライアン風なのだ。

この映像は25周年を記念したハワイでのコンサート。
編集で後で重ねたヴォーカルもあったり・・ライブとしての出来は??だが、
このライブのエンディングでブライアンはすでに
「The Spirit Of Rock'n Roll」を歌っている。
その自信に満ちあふれた表情が最高にカッコイイ!




「The Spirit Of Rock'n Roll」・・・・ブライアンの答えだ。























BEACH BOYSと出会う その3 [アナログ盤]

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大好きなアナログが2枚・・・

その紙ジャケが出たってことから始まった今回の「本館」のネタ。 一応この「その3」を完結ということにしたいのですが・・・ 書きたい事が多過ぎて・・・熱くなっちゃって、収拾つかなくなったりするから なかなか完結できない(笑)


今日はお昼に思いっきりコレを見た。

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このビデオや、結成25周年に発売された「AN AMERICAN BAND」は・・・ 良く出来たヒストリー作品だ。 貴重な映像が満載。これらの映像によって知らなかった事実も随分知ることが出来た。 しかし、決められた時間の中に強引に歴史を詰め込んだから 欠落してる情報や、「この年は重要なのに!」「このアルバムこんな扱いでいいの?」みたいな ストレスでいっぱいになる。


ビーチボーイズには・・・ ビートルズのような壮大な「アンソロジー」企画は必要ないのだろうか? ビートルズより長い歴史を刻んだアメリカを代表するバンドに 「アンソロジー」は必要ないのだろうか・・・ 中途半端な映像の切り売りと、プライドで事実をねじ曲げたようなインタビューは もうご免だ。

デニスもカールも既に他界している。ブライアンや残ったメンバーが元気なうちに

もう一度、キチンと検証が必要なんじゃないだろうか?

そうじゃないと・・・

私なんかいつまでも

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コレや・・・
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コレの・・・和訳で歪められた大袈裟な「似非伝記」が頭から消えないのだ。

現に今回の記事も、これらの書籍で得た情報が頭にあるから・・・

知ったような事アレコレ書いてる訳だ。


前置きが長くなり過ぎた。

話をもとに戻すために・・・またコレの登場です。

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クドいかな(笑)

さて、前回は軽く「LOVE YOU」までをまとめた(つもり) 誰もがブライアンのカムバックは本物だと思っただろう。 しかし、あれだけツアーが重圧で泣出した64年のことを忘れたのか、 結局、ブライアンはまたアルコールとドラッグに逃避することに。 1979年に発売された「L.A.」のツアーの映像や写真を見ると・・・ ブライアンはまた太りだし、声質も「15 Big Ones」の頃に戻っている。 不思議だ。また幼児に戻ってしまうのか。 そしてデニスの目や表情。  狂気に満ちている。 「パシフィック・オーシャン・ブルー」の頃(LOVE YOUの頃と言ってもいい)とは 別人だ。ブライアン「コークをやるから、曲作れ」とデニスがブライにコカインを与えてた・・・ なんて記述もある。これが事実かどうかは解らないが、 この後、ブライアンは再びユージンランディの管理下に「飼育」され・・・・ そしてデニスの・・死へのカウントダウンが。 そんな78年かわ80年の3年間に3枚のアルバムを制作している。 [新月]M.I.U. Album [新月]L.A. [新月]Keepin' The Summer Alive いい曲もある。しかしビーチボーイズとしての輝きや鼓動は感じられない。 だからこの3作をあえて 「駄作」と言わせてもらう。 契約のためだけにブライアンに書かせた曲は寂しい。 ビーチ・ボーイズとして駄目時期、 マイク・ラブとカール・ウイルソンがそれぞれソロを発表する。 マイクは実にマイクらしい・・・ノスタルジックなLAを感じられる佳作。 ある意味、ビーチ・ボーイズより「らしい」アルバムだ。 一方、カールは真逆。ビーチ・ボーイズらしさを徹底的に排除したR&B色が強いアルバムだ。 このアルバムからは「Heaven」という名曲も生まれている。 ビーチ・ボーイズ復帰後もステージでデニスに捧げるナンバーとして歌い続けたナンバーだ。 しかし、これは追悼歌ではない。 デニスの他界は83年だから・・・


この時期のカールはメチャメチャかっこいいのだ。 明らかにビーチ・ボーイズの3男カールじゃない「CARL WILSON」だ。 83年にはセカンドアルバムも。

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1stのイメージを踏襲しながらも、よりハードによりプログレッシブに進化。 しかし、バラードは・・・やはり絶品である。 「One More Night Alone」「If I Could Talk to Love」など私は泣いちゃいます。 カールのこの間に磨かれたセンスは確実に85年のアルバム「BEACH BOYS」に活かされることになる。



今日で完結させる予定だったが・・・やっぱ無理。 85年まで行けない。


また延長ということでいいでしょうか?

次回は必ず完結させますんで(笑)




BEACH BOYSと出会う その2 [アナログ盤]

BEATLESが大好きな人に、彼らのキャリアの中で「不必要」なアルバムがあるか?・・・って聞いたら、「そんなのある訳ないだろう!タコ!!」って答えが返ってくるに違いない。私もそう思う。


しかし・・・BEACH BOYSはどうだろう?

熱狂的ブライアン信者は、ブライアンの匂いがしないアルバムを愛せるのだろうか?例えば、ブライアンが全く参加しなかった1992年のアルバム「Summer in Paradise」を同じBEACH BOYSのアルバムとして愛せるだろうか?

普通ファンはアーティストに寛大で、世間的に「駄作」と言われるアルバムでも名盤達と同じく、愛おしくレコード棚に納まるものだが・・・

はたして・・・BEACH BOYSはどうだろう?


1976年の「15 Big Ones」から1988年のブライアン・ウイルソンのファーストソロまでを簡単な年表にしてみました。 ブライアン・ウイルソンの健康状態がキーワード。 ココに傑作と駄作の差が出てくると思う。 しかし、アルバムの出来不出来とライブパフォーマンスはビーチボーイズの場合「別物」である。

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1976年「15 Big Ones」

1976年は・・・建国200年の年。

ベスト盤の成功もあって、アメリカでの人気も回復。

ライブ活動も順調であったが何か足りないものがあった。

ブライアン・ウイルソンである。

最悪な状況が続いていたブライアンではあったが、ユージン・ランディの治療が功を奏し

寝たきり状態から回復の兆しがあった。

そんな不完全なブライアンを引っぱり出そうと「BRIAN IS BACK」なる大掛かりなプロジェクトを慣行。

サタデー・ナイト・ライブなども駆使し、アルバム制作にも

ブライアンが完全復帰(全然完全じゃない)ということで参加。ライブにも引っぱり出されたが、

映像を見る限り、とても落ち着きがなく痛々しい。子供のような目で客席を見るブライアン。

そんなブライアンをカールやデニスは見事にサポート、マイク・ラブのパフォーマンスも見事。

しかしまだまだ健康に不安があるブライアンではあるが、アルバムのプロデュースからコーラスアレンジまで

やってのけた。これは才能というより本能なのだろうか?

「ロックン・ロール・ミュージック」のコーラスアレンジは最高にカッコイイ。

ビーチ・ボーイズらしい「ロックン・ロール・ミュージック」であった。

ただ・・・声が悲しい。


1977年「Love You」

さて、「love you」だ。

前作よりさらに回復したブライアンはこのアルバムでは精力的である。前作が「作らされた」アルバムなら、

本作はブライアンのソロと言ってもいいくらい力が入っている。

しかし、「ペットサウンズ」のような作り込んだアルバムではない。

このアルバムには「自由と愛」で溢れている。

アルバム制作期間は約半年であるが、ブライアンの声に個体差が感じられる。

やはり波があるのだろうか?

歌唱法も絶頂期の60年代とまったく違う。

あの声変わりしていないような、伸びやかな「天使の歌声」ではなく、

実に男らしい声で、抑揚のある歌を聴かせてくれる。

既に前作「15 Big Ones」の声とも違っている。

人間の声はこんなにも変化するものなのかと驚いてしまう。

声質が安定したなって感じたのは85年の「BEACH BOYS」くらいからだろうか?

このアルバムに収録されている「Good Time」がある。

この曲のオケとコーラスが作られたのはなんと1969年。

そして1972年のAmerican Springのアルバムに提供されている。


Spring

Spring

  • アーティスト:
  • 出版社/メーカー: See for Miles UK
  • 発売日: 1994/12/16
  • メディア: CD



このCDもすっかりレア盤になってしまった。

話は「LOVE YOU」に戻る。このアルバムの・・・・

アナログのB面にあたる曲はまさにブライアンのソロアルバムのようで・・

作風も85年の「BEACH BOYS」や88年の「BRIAN WILSON」に続く何かを感じる。

それもそのはず。ここに収められた殆どがブライアンのセラピストで

後に様々な問題の渦中の人物になるユージン・ランディによって

「Brian Loves You」というソロアルバムが企画され、その時の作品が

殆ど「LOVE YOU」に使われていたそうだ。

このアルバムの最後を飾る「Love Is a Woman 」これは名曲である。

子供っぽい愛の歌だが、ブライアンらしさに溢れていた。


ちなみにこのアルバムが発売された1977年、ビーチ・ボーイズとして

最初のソロアルバムをデニス・ウイルソンが発表。

ブライアンの仕事を一番見ていたのはデニスだったのだ。



今日はここまでとしますね。

次回はブライアンの精神状態が再び悪化した時代の作品、そしてデニスの死などから

85年の「BEACH BOYS」88年の「BRIAN WILSON」までで締めたいと思います。



BEACH BOYSと出会う  1977年 [CD]

BEACH BOYSが好きな人って・・・いつ、どのアルバムと出会って惚れちゃったんだろ? 出会ったアルバム、時代・・そして年齢によって大きく違うんだろうなぁ? 場合によっては敬遠する存在になったりするケースだってあるだろう。 不思議と私の廻りにはBEACH BOYSファンは少ない・・・というか皆無かな? ソネブロ初めて、MASAさんと知り合いBEACH BOYSの話が出来てホント嬉しかった。 それくらい自分の廻りには聴く人がいない。

私は1960年生まれ。初めてBEACH BOYSをアメリカのバンドとして認識し、 興味を持ったのがたのが1976年


この本がきっかけである。

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1976年9月号のニューミュージックマガジンである。 この特集が「徹底追跡/ビーチ・ボーイズの偉大なる15年」とうもので 亀渕昭信氏と小倉エージ氏の対談であった。

さっぱり意味が解らなかった。


そりゃそうだ。ウエスト・コーストサウンドに目覚めたビートルズファンが、 この対談を読んで、自分の考えるウエストコーストサウンドと 亀渕氏が定義するモノが全く違うってことのショック。 そりゃ「サーフィンUSA」くらいは聴いたことあるけど、 BEACH BOYSが何なのかってことがこの段階ではまったく解らない。


こんな広告もNMMのあった

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結成して15年になるバンドで、メンバーのブライアンという人が バンドに復帰したことで盛り上がっているみたいだ



こんなスタートでした(笑)


確かにビートルズの話の中でBEACH BOYSが引き合いに出されることもあり、 まったく興味が無いわけじゃなかったが、時代が時代・・・ 貸しレコード屋すら無いような時代に、なかなか全く知らないバンドの それもLPを買うことって16歳には厳しい。


今の10代の子がBEACH BOYSの情報を得ようとしたら大概の事は 調べられるだろうし、聴こうと思えば(聴く気があれば)直ぐ聴ける・・・ でもそんな時代じゃなかった。

興味はありながら結局「偉大なる15年」は聴くことは無かった。



前置きが随分長くなったが・・・

BEACH BOYSの1977年のアルバム「LOVE YOU」を買った。

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そう、何が言いたいか・・・それは新譜で買った最初のBEACH BOYSのアルバム、 それが「LOVE YOU」なのである。


この時期、グラフィックアートに興味を持ち始めた頃だからジャケットに惹かれたのは言うまでもない。 おそらくネイティヴアメリカンのビーズアートを平面的に表現したのであろう。 実に美しい。この美しいジャケットをデザインしたのは・・・ ジャン&ディーンのディーン・トーレンス。前作「偉大なる15年」も彼のデザイン。

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質感までよく再現されていて嬉しい。しかしこのグリッドアートは・・・やはりLPサイズじゃないとキツいなぁ

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ラベルのデザインはこんな感じ。

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このアルバムを買った時点では、彼らに関する知識(情報)は1年前とさほど変わっていなかった。

しかし、なぜかアルバム「サーファー・ガール」を聴く機会があったことで

あの美しい声がブライアンという人で、鼻にかかった声がマイク・ラブという人だってこと。

このくらいの情報しかなかったが、手に入れたアルバム「LOVE YOU」

初めて聴いた時の印象・・・・・

なんだ?コレ?

後悔した。正直後悔した。 それは・・・あまりにもBEACH BOYS歩んだ道を知らないで「LOVE YOU」みたいなアルバムから入門したから・・・ある意味仕方ない事なのかもしれない。 だって、ブライアンの・・あの綺麗な声がしない意味が解らなかったのだ。 81年にベスト盤「テンイヤーズ・オブ・ハーモニー」を聴いた頃、ようやく状況が理解できた。 「LOVE YOU」以前のアルバムを全て聴いた訳ではなかったが、どんどん「LOVE YOU」の意味が解ってきた。 「LOVE YOU」と85年のアルバム「BEACH BOYS」までの間・・・約7年 そして88年のブライアンのファーストアルバムまで行き着くと・・・「LOVE YOU」の偉大さがハッキリ解った。 自分にとって「LOVE YOU」は最高傑作である。

「LOVE YOU」の内容については・・・また次回にしようかな。 85年「BEACH BOYS」も絡めたいから。

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これも絶対無視しちゃいけないアルバムだ。 近いうちに続き書きます。




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